嘉手苅観音堂

ダーリー

2009年02月25日 22:37

突然ですが私、別のブログに、「聖地のゴミ」という、あからさまなタイトルのブログを書いています。
そこでも紹介しましたが、祈りと言う根本的なことをよく考えて欲しいと思い、あえてここでも同じ様に掲載しました。



嘉手苅観音堂って、ご存知ですか?
うるま市石川の嘉手苅にあるんですけど。

特別立派な建物ではありませんが、地元を含め各地から多くの人が祈りに訪れていると思われます。




これらは2月24日に訪れた時の写真です。



これまでに何度か訪れた事があるのですが、この日だけは何故か普段眼の向かない社の屋根に眼が向きました。








そこで目撃したのが、これらの写真です。




































社の屋根のゴミ。

小さくなったローソクに空箱?、新聞、チラシの切れっ端。

失礼を通り越して、何を考えているのだろうか?

誰がしたのか?

人間の頭の上にであれば、絶対にしないようなこと。
そこにあるのは人間ではなく、言葉も発さなければ、動きもしない、ただの仏像?



都合の良い時にだけ願いを聞いてと言わんばかり。









ほら、今度は外に眼を向けると、“我よし”行為。




















こんなことして平気なのか?

『線香類は持ち帰って下さい』

目の前の看板に書かれているにも関わらず、こんなにも捨てて帰って。
何を祈りに来たのだろか?
いや、何をしに来たのだろうか?




これらが当たり前化している沖縄の拝所。
全ての人がしている訳ではないが、一部の身勝手な人の行為が、とんでもない状況を作ってしまっている。

管理者がいるから気にしない。管理者が掃除するからいい。


祈り人の前に、人としてどうなのだろうか。

いつまでこんなことが通用するのだろうか。

これをまた、後世に伝えて行くのだろうか。

本当にこのままでいいのだろうか・・





ほぼ毎日UPしている聖地のゴミブログも一度ご覧下さい。
思いっきり、愚痴っています!