嘉手苅観音堂
突然ですが私、別のブログに、「聖地のゴミ」という、あからさまなタイトルのブログを書いています。
そこでも紹介しましたが、祈りと言う根本的なことをよく考えて欲しいと思い、あえてここでも同じ様に掲載しました。
嘉手苅観音堂って、ご存知ですか?
うるま市石川の嘉手苅にあるんですけど。
特別立派な建物ではありませんが、地元を含め各地から多くの人が祈りに訪れていると思われます。
これらは2月24日に訪れた時の写真です。
これまでに何度か訪れた事があるのですが、この日だけは何故か普段眼の向かない社の屋根に眼が向きました。
そこで目撃したのが、これらの写真です。
社の屋根のゴミ。
小さくなったローソクに空箱?、新聞、チラシの切れっ端。
失礼を通り越して、何を考えているのだろうか?
誰がしたのか?
人間の頭の上にであれば、絶対にしないようなこと。
そこにあるのは人間ではなく、言葉も発さなければ、動きもしない、ただの仏像?
都合の良い時にだけ願いを聞いてと言わんばかり。
ほら、今度は外に眼を向けると、
“我よし”行為。
こんなことして平気なのか?
『線香類は持ち帰って下さい』
目の前の看板に書かれているにも関わらず、こんなにも捨てて帰って。
何を祈りに来たのだろか?
いや、何をしに来たのだろうか?
これらが当たり前化している沖縄の拝所。
全ての人がしている訳ではないが、一部の身勝手な人の行為が、とんでもない状況を作ってしまっている。
管理者がいるから気にしない。管理者が掃除するからいい。
祈り人の前に、人としてどうなのだろうか。
いつまでこんなことが通用するのだろうか。
これをまた、後世に伝えて行くのだろうか。
本当にこのままでいいのだろうか・・
ほぼ毎日UPしている
聖地のゴミブログも一度ご覧下さい。
思いっきり、愚痴っています!