2012年02月21日

タマが家族の一員であった日 その2

「多分、長くは生きられないかも・・」


ベランダから直ぐ見える側溝から拾われて来た“タマ”。
泣き声は聞かれるものの、目ヤニがカパカパにくっ付いたまぶたは果たして開くのか?
この子は目を開けることが出来るのか?
そんな疑問を持ちながら、妻の様子を見ていました。


まず食事。
牛乳を温めてそれをスポイトで少しずつ飲ませていました。
「はァ~、なるほどね~」
小さな猫や犬を飼ったことのない私には、その光景がとても新鮮でした。
目の見えないタマは、スポイトの先を親のオッパイと思いながら必死に飲んでいました。
喉を鳴らしながら、音を立てながら必死に飲んでいます。

目は柔らかいタオルを濡らし、それで拭き取ってあげていました。
でも時間が経つとまたカパカパの目ヤニだらけになります。
まだ自力で目を開けることは難しいようです。
私ならそのまま爪で引っ掻きながら取っていることでしょう。
無知とは怖い。

体は細く小さく、栄養状態が良いとは思えない。親に捨てられていた赤ちゃん猫なんだし。
体中に体毛がフサフサと伸びている状態と、そうでない状態の”見た目”も大きいです。
肌が見え隠れするのって、弱々しく見えるものです。



「長くは生きられないかも・・」と言った妻の言葉が厳しく聞こえるものの、私にとってはこの先起こりえる面倒から解放されることへの安堵感も入り混じり複雑な心境でした。
また、どうせ死ぬなら、情が移らない早いうちに逝った方が気が楽だし・・。


そうなんです。
私が動物を飼いたくない一番の理由は、情が移ることなんです。
遅かれ早かれ私より早く死を迎える動物を、私はどんな顔で見届けられるのか?
どんだけ辛いものなのか?
どう接して良いのか・・。
それを想像するだけで胸が苦しくなり、『飼うのはよそう』『知らんフリ知らんフリ』を装うのです。
見てみぬフリをするのです。
自ら進んで悲しい想いをする人なんていないでしょうから・・。



「タマに“先が見えない”のであれば、余り関わらないようにしよう」

それは正直な想いでした。
自分が悲しい想いをしない為にも。
悲しみで苦しくなるのが嫌だから。
関わらない方が楽だって・・・・。



タマが家族の一員であった日 その2



続く・・





Posted by ダーリー at 20:14│Comments(0)
 
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